広瀬正 エロス

芸能界の舞台に立って37年、橘百合子はふと思った。あの時、わたしが歌手としてデビューしていなかったら? もしあの時、違う選択をしていたら、わたしはどんな人生を送ったのだろう。時は昭和8年、震災のあった岩手から東京に出てきた少女みつこは、とある青年と出会った……。
戦争へと向かう昭和の空気を淡々と書いた回想妄想録。戦前を懐かしむ語り口がなんとも大人である。今のわたし達は本当に幸せだ。それでも、もし、あの時……。なんとも表現し難い、凄くいい小説だった。素晴らしい! とか面白い! とかではない(いや、素晴らしくも面白くもある、しかし)、ただただ良い小説だった。この空気は広瀬正だなあ。ここ1週間ほど本が読めない病だったのだが、これで完治できた。ありがたい。

エロス―もう一つの過去 広瀬正・小説全集〈3〉 (集英社文庫)

エロス―もう一つの過去 広瀬正・小説全集〈3〉 (集英社文庫)