大澤絢子 「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる

明治・大正期にエリートになれなかった人々。昭和期のサラリーマン台頭時代。バブル以後に乱立する自己啓発ブーム。彼らはなにを拠り所にして、なにを満たしていたのか。「修養」「教養」に含まれた宗教性、精神性を解体する。

松下幸之助への崇拝って、新興宗教に似ていませんか?」と問われて衝撃を受ける。亡くなった著名人が神格化されていく様子を、リアルタイムで見ているんだ。こり固まっていたヒエラルキー明治維新によって崩壊し、成り上がるためには何が必要かを「修養(=教養・自己啓発)」に求める。明治維新から150年、形やブームを変えながら多くの人を魅了するのは何故か。自己啓発と宗教性の相性は、砂糖と油のように甘美だ。ダスキン創業者の熱心な姿には感動さえ覚える。